the latest interview with rei kawakubo from this morning's Mainich
it's too long for me to translate.
but it took up the relevant subjects like h&M/vuitton thing, successor issue, etc.
so decided to post it as is, anyway.
hope nqth will do something about this.
コム・デ・ギャルソン 川久保玲のクリエーションとビジネス
◇アスリートのように
◇H&M、ルイ・ヴィトンと相次ぎコラボ「うちの価値観がどれだけ勝負できるか」
コム・デ・ギャルソンの川久保玲さんほど、同業のファッションデザイナーから崇拝されている人はいない。彼女が先駆的で斬新な服作りとビジネスとを両立させているからだ。資本系列化した高級ブランドと、大量生産、低価格のファストファッションブランドが幅を利かせるファッション界にあって、独立したデザイナーズブランドとして一線を走り続けるコム・デ・ギャルソンは稀有(けう)な存在。日本が世界に誇りうるビジネスモデルなのだ。その彼女が今秋、ルイ・ヴィトン、H&Mと共同制作する。ビッグブランドとファストファッションの2大巨頭と組む意図は何か。「コム・デ・ギャルソン」というビジネスの神髄を川久保さんへのインタビューをもとに探った。
北京五輪の競泳で多くの選手が着用したスピード社の水着。8冠に輝いたフェルプス選手をはじめ、大活躍した米国チームのデザインは川久保さんの手によるものだった。鍛え抜かれたアスリートの肉体にコム・デ・ギャルソン--これは実に見事なマッチングだ。なぜなら川久保さんもまた、あたかも運動選手のように、日々精進し努力することこそが、自身の創作活動の原動力と考えているから。そして、安易な道を選ばず常に限界に挑む姿勢もまた同じだ。
「一歩一歩です。今、無いものを生み出すのは、着実に日々の作業を積み重ねることから始まります。今日は、明日は、といくわけですから、光はいつも見えません」。朝は8時前から出社し真夜中まで働く。若手の社員ですら音をあげそうな日常を40年近く規則正しく繰り返してきた。81年のパリコレクションデビュー以来、半年に1度提示し続ける「新しい」服は、魔法でも偶然でもなく、こうした努力の積み重ねがあって生まれる。
服作りも経営も「データや理屈ではなく最終的には勘に頼る」という彼女は、その「一瞬の勘」を働かせるために「日々の作業をおろそかにしない」と語る。実際に会うと小柄で、強い視線も含めて少女のような印象を残す川久保さん。ストイックなまでの純粋さは、仏語で「少年のように」というブランド名に通じる。
★「新しいことができているか」
90年代以降、ファッション市場はマーケティングによるトレンド至上主義がまん延した。売り手も買い手もメディアもこの流れにのり、個性的な服を作るデザイナーズブランドは経営が立ち行かなくなり、姿を消すか、または巨額の資金を持つビッグブランドに吸収合併された。その結果、市場に残ったのは売れやすく、分かりやすい、川久保さんいわく「易しい服」ばかり。そんな中で、コム・デ・ギャルソンは「コム・デ・ギャルソン」という価値観を打ち立て、守り続けたからこそ生き残ってきた。
実のところ、世界中のデザイナーがうらやむ「クリエーションとビジネスの両立」を考えたことは「一度もない」と川久保さんはいう。コム・デ・ギャルソンとして世に送り出す商品の判断基準は、ただ一つ「新しいことができているか」どうか。結果として売り上げがついてくる。「何が売れるか」を調査し「売れるもの」を作る、という方法論とは逆をいく。「売れないかもしれない、売れなくてもいい、ある少人数の人が興味を持ってくれたらいい、という姿勢なのです」。つまり市場が物を要求するのでなく、物が市場を生むという考え方。彼女が「会社もまたデザインの一つ」と言うゆえんだ。その「少人数」を的確につかむため、「新しさでもどこで線を引き、どれを選択するか」が川久保さんにとってのビジネスだ。
なぜ、「新しさ」にこだわるのか。川久保さんは、「変化につながるから」だという。「新しさを求める姿勢で作られたということを、コム・デ・ギャルソンの服を着た時に感じてもらい、それが現状を動かすちょっとした力につながれば、うれしいのです」。そして、はにかむように付け加えた。「ただ、日々そんなことを考えているわけではありませんよ。聞かれたから答えているだけです」
★「もっと嫌われないと」
アーティストや他ブランドとの商品や店舗の共同制作もまた、「1と1を足したら3にも4にもなり、思わぬ新しいものが生まれるから」と、コム・デ・ギャルソンが積極的に取り組むビジネスの一つだ(「コラボレーション」などという言葉が生まれる、ずっと以前から行われていることを付け加えておく)。スピード社やフレッドペリーといったスポーツブランド、バレエシューズのレペット、吉田カバン……。
だが、ルイ・ヴィトンとH&Mの2社とのコラボレーションは、少し趣が違って見える。真意はどこにあるのか。「違う価値観の中でうちの価値観がどれだけ勝負できるのか試したいという興味からです」。コラボレーションもまた「新しさへの闘い」という川久保さんは、独立デザイナーズブランドの旗手として大勢に果敢に立ち向かうジャンヌ・ダルクなのだろうか。勝算は? 「もちろん勝たなければいけないと思っています」
さらに、こう付け加えた。「このような話が成立すること自体、何かの変化の兆しかもしれません」。確かに、海外高級ブランドは日本市場での売り上げが減少し、ファストファッションブランドもまた差別化が難しくなっている。「大衆向け」路線を歩んできた両者には消費者の飽きもまた向かい風だ。皮肉めいた言い方をするなら、どちらにとってもコム・デ・ギャルソンは「救世主」ということになるのかもしれない。ただ、川久保さんは「もっとみんなに嫌われなければいけない」と繰り返すのだが。
★「永遠に探し物です」
2008年はちょうどコム・デ・ギャルソンの会社設立35年にあたる。そして来年は川久保さんが服作りを始めて40年。だが、当の本人は全く関心を示さない。「新しさ」を追い求める彼女にとって、過去は切り捨てるものであって振り返るものではない。とはいえ、60代半ばを迎えた川久保さんの後継者はどうなるのか、コム・デ・ギャルソンというブランドはどうなるのかというのは、国内のみならず世界中のファッション関係者の関心事だ。
コム・デ・ギャルソンには現在14のブランドがあり、川久保さんのほか渡辺淳弥さん、栗原たおさん、丸龍文人さんがデザイナーとしてそれぞれのブランドを手がける。だが「将来を考えた後継者という目でみたことはありません。結果としてどうなるかは分かりませんけれど」。会社の規模が大きくなるのに合わせて「同じ価値観を持つ仲間が増えた」というのが川久保さんの解釈。「価値観として同じものを持っていれば、服の色や形の違いは大勢に関係ない。その意味では、コム・デ・ギャルソンは将来も続くと思います」
北京五輪でメダルを獲得した若い選手たちのコメントを聞いて、「元気をもらった」と意外なことを口にした。「彼らは4年間、日々努力して目標を達成した。それが一生続けられればどんなに素晴らしいことかと思って」。自分が納得するものを作るまで「永遠に仕事をしている限り探し物です」と話す川久保さんに、後継者のことなどを持ち出したのは失礼だったかもしれない。彼女は常に「今」と勝負する〓アスリート〓なのだから。<文・國保環>
毎日新聞 2008年8月29日 東京朝刊
http://mainichi.jp/life/fashion/news/20080829ddm010100122000c.html